昔、大阪のモデル事務所に入っていました。
その事務所ではモデル部門とアーティスト部門があって、所属しているアーティストが活動する現場に
よく行くようになったのをきっかけに、DJをやりたいと思うようになったんです。
大阪で2年くらいDJ活動をしてから東京に移りました。
もう12年くらいですね。
もう一方の仕事を始めた頃は、なかなかDJ活動にはフォーカスできませんでした。
仕事をして、寝ずにDJをすることも……。
だんだん年数を重ねていくなかで、自分で働き方を選べるようになってからは活発にDJをやっています。
今は月~木曜まで他の仕事をして、DJは木曜から週末にかけてです。
東京に来た頃は、モデルDJが所属する事務所に入らないかと誘われたこともあったのですが、それは嫌だったんです。
なぜならちゃんとDJとして音楽を聴いてほしいから。
自分の思うかっこいい音楽を聴いてもらいたくて、アンダーグラウンドの小さいハコやDJバーからスタートしました。
アンダーグラウンドにこだわったわけではないですが、たくさんの音楽を知りたいと思ったし、
尊敬できるいろんな人と繋がるきっかけになりました。
原宿神宮前にあるBonoboです。
10年ほど前に東京で最初に連れてってもらった場所で、
そこで今となっては大先輩となるDJさん達がレコードでかっこいい音を鳴らしてて。
サウンドシステムにもこだわっているし、内装も印象的でした。
私にとって衝撃的な一夜だったことを鮮明に覚えています。
東京をベースにしてるけど、海外、特にアジアでも活動していきたいです。
日本では東京だけでなく地方各所でもやっていきたいです。
東京でも声をかけてくれるところが変わってきました。
最近では自分が求めてる場に呼ばれるように変わってきたので、そういう場所でもやりたいです。
もちろん、今までやってきた場所でも変わらず続けていきたいです。
中国、香港、ベトナム、インドネシアのバリなどです。
若いし、勢いがあります。
お金のまわり方も日本と違うかも。
日本ではあまりDJに還元されないと感じることもあるけど、そういった点では違うかな。
私はまだまだ有名なわけではないので、私を知らない人たちが音楽を聴いて踊ってくれてるのを見ると嬉しいです。
もっと知らない場所でやって、たくさんの人と繋がってみたいなと思います。
反応はいいですね。
日本から来たということで興味を持ってくれてるのもあると思うし、
音楽がよかったらよいと素直に表現して反応してくれる。
もう12年くらいですね。
香港にポテトヘッドというレストランバーがあるんですけど、友人が音楽ディレクターをやってまして。
そこでDJが出来ることになり、日本に帰る前にラジオに出たら、
その配信を中国の人が聴いてくれていて直接声がかかるようになりました。
自分の曲を作るのは、今のひとつの目標です。
試行錯誤してるので、完成まではあともうちょっと。
オリンピックに合わせて、ホテルのラウンジやDJバーとかに需要があるように感じます。
海外の人に向けた場所が増えていますね。
日本人で遊ぶ人が少なくなっているのかも。
年を重ねてライフスタイルが変わったりとか、いろいろな環境があるとは思います。
今は新型コロナの影響で状況が変わってきたので(2020年2月取材)、
自分の音楽を表現できる方法や場所を模索しています。
「交流の場」だと思っています。
いろいろな人が集まって、
好きな音楽などに関して話をできる場所として必要。
渋谷だとエリア内にそういう場所がたくさんあって、その場所それぞれのコミュニティーがあります。
いろいろな楽しみ方があるのが街の魅力ですね。
音楽関係だけじゃなくて、いろいろな職種の面白い人が集まってくる。
<プロフィール>
Gem
House.Discoを軸にプレイするvinyl loverなDJ。
2008年大阪でデビュー、2010年より東京を活動拠点とし、中国、香港、ベトナム、パリなどのアジア方面へも活動の場を広げている。2015年、Atsuko SatoriとのDJユニット'PALM BABYS'を結成し、US西海岸ツアーを決行する。