元々、持ち歩くものはすごく少ないタイプ。
旅先に持っていくのは、必要なものとパフォーマンス用の重い機材。
旅先で「あったほうが便利かな……」というものが現れたとき、2種類選択肢があると思うんです。
「これを預かって持ち運ぶほどの責任は持てない」と思うのか。
それとも、とりあえず「その機能を消費したいから買う」のか……。
結局、旅でものを得た時って、その重量分を得るわけで。
(飛行機で)オーバーウェイトする苦労というのは、自分に全部返ってくるものなんですよね。
(買ったものは機内用の)リュックを重くして入れるとか……。
全部自分で運ぶ責任、身体的苦労。
それかお金(超過料金)を払ってスーツケースに入れるかという……。
買うときは「これを私は運ぶ!」って思って買います。
買う時には「私が預かります」ということを知った上で買います。
分かった上で瞬時に手を伸ばせるものは、
自分にとって必要な潤いなんだろうなと思って買ってます。
靴とかは修理しながら履きますね。
5年…6年…この前履いてたものは、修理不可能になったので、手放して新しいものを買いました。
(旅先以外で)安易に買ってしまったものは、捨てたりします。
曖昧にキープしてるんだったら、捨てたほうがものにとってもいいと思います。
(アトリエの一角を指さしながら)その紙の山は、
ライブで使ったやつを、全部ではないけどとってあります。
何かきらめくものが感じとられるんですよね。
元来、物を捨てられないタイプなんだと思います。
日付が書いてあるものは分かります……
(ひとつを手に取りながら)これは3年前のものですね。
この数年「ソロパフォーマンス」に力を入れていました。
2017年にソロパファーマンスを始めて、
「音と絵のバランスがどうだっただろう」とか
「集中できなかったかも」「描ききれなかった」など、自分の感覚で考えていたんです。
けど、年齢的にも私よりも
はるかに人生経験のあるお客さんが多いんです。
その方からのフィードバックで「あれは、こういう人間関係があり、
登場人物Aが旅をして最後にハッピーエンドで……」
っていうのを聞いたときに、お客さんのほうが積極的に物語を想像しているのだから、
それに頼ることも創作の内かと思うようになりました。
自分で描ききったものを「Aというストーリーを作ったので感動してください」と提供するんじゃなくて、
「私はAなりBの人生をここで作るので、解釈とか名付けはお任せします」というほうが今は楽です。
学生の頃にパフォーマンスが仕事になり始めた頃、
ジャズをベースにした即興演奏のプロの方の現場に、
ビジュアルを担当しにポンとひとり入ったところから始まりました。
新宿のPit Innという、ジャズの老舗です。
フリーの時間がありますよね。
「この先どうなるんだろう」っていうハラハラした状態があって、
そういう時にソロ演奏ができてひとりで時間を預かることができない限り
セッションもできないということに、1~2年やってる内に気が付きました。
合わせようとすると、結果的に無駄な色とかトーンが足されるだけ。
足りないものを別の方法で入れることによって差が出来るから、
幅ができておもしろいんじゃないか、と。
ソロパフォーマンスをできるようになろうと思って、じわじわと強化してるんです。
集中してできるようになってきたのが、2018年10月のドイツでのソロパフォーマンス。
旅先で撮った写真とかも使って、画面の半分でライブペインティングをして、
画面の反対ではリアルタイムで写真を反応させて組み立てたり……。
コラボレーションするにはひとりでできる力がないといけないってことに気づいて、
自分でできるようにならなきゃなって思ったんです。
2018年には仕事としてソロが増えて、強化年間みたいになってましたね。
水。
自分よりはるかに繊細だとわかったので。
墨流しをもっとしたいです。
目に見えないものを可視化することに興味があります。
基本的には全部、正円になりたがるはずなんですけど、やってる途中に呼吸をしてまわりが揺れて、
乱れができて、その水の乱れにおされて、外の繊細な機微を水が拾ってるんだなっていうのがわかりました。
人間が感じられない空気の流れを水が感じ取ったりすると、
だんだん墨流しの水面に身体が感情移入するみたいな状態になる。
絵が身体の延長になって、身体のほうに水のフィードバックがきて、
水と同じくらい繊細になったりするというかなり驚く経験がありました。
それをもっとやりたいなと思ってます。
<プロフィール>
中山晃子
画家。色彩と流動の持つエネルギーを用い、様々な素材を反応させることで生きている絵を出現させる。
絶えず変容していく「Alive Painting」シリーズや、その排液を濾過させるプロセスを可視化し定着させる「Still Life」シリーズなど、パフォーマティブな要素の強い絵画は常に生成され続ける。
ソロでは音を「透明な絵の具」として扱い、絵を描くことによって空間や感情に触れる。
近年ではTED×Haneda、DLECTROCITY ART FESTIVAL(デトロイト)、ArsElectronica Fes(オーストリア)、Biennale Nemo(パリ)、LAB30 Media Art Festival(アウグスブルグ)等に出演。