COLUMN

Etsuyo Okajima chapter1

Etsuyo Okajima chapter1

どういったお仕事をされてるんですか?

自由大学の学長を経て、1年間はFabCafe京都にいました。
その後、代官山にあるコマーシャルギャラリー、
LOKO GALLERYのオーナーさんからお声がけいただいて、2月から働いています。
地下スペースの運営ディレクションをやりつつ、ギャラリー運営にも関わっていく感じですね。
その場所に元々ある、いいものの点と点をつないで、
本来ある価値を表現して形にしていく仕事はずっとやってるので、それが基本軸にあります。

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自由大学の学長になるまでは何を?

私の方向性を決めたのは、2008年のリーマンショックだったんですよ。
その前はずっと制作畑でした。
雑誌のエディトリアルとか、レコード会社だったらアーティストのプロモーションサイト、
銀行だったら個人顧客向けの金融商品を販売するサイトを作っていました。
そこにリーマンショックがあって、
例えば1万円の商品がいきなり30円になったりしたんですね。
100万円単位で退職金を注ぎ込んで、
老後の資産運用として金融商品の購入をしていた人にとってはものすごく損ですよね。
自分の能力を人の人生を狂わせることに使うのはどうなんだろうと、
初めて真剣に考えて、そこから旅が始まったんです。

考え直すきっかけだったんですね。

銀行がすごくリストラしている中で、
同じ部署にいた同僚と一緒にニューヨークのMOMAに行ったんですよ。
「DESIGN AND THE ELASTIC MIND」という展示がめちゃくちゃ良くって、
こういう展示の仕事をする人はどんな人なんだろうと図録を見たら、「キュレーター」と出ていた。
そこで初めて、学芸員ではないキュレーターというポジションを知ったんです。

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新鮮な衝撃ですね。その後は?

そういう時代のこともあって、その後しばらく所属していた会社もほぼ解散となりました。
地元が静岡県の沼津市なんですが、行政の文化施設の一角でカフェの事業者を募集してたんですね。
自分は今まで東京の一等地と言われるところで働いてきたけど、
「ぜんぜん地元のことを知らないなー。地元で貢献できることはなんだろう」
と考えて、企画をエントリーしたら通っちゃったんですよ。

私は企画だけ出して、運営は任せようと思ってたんです。
けれども、あるとき仕事がひと段落して見に行ってみたらお店がぜんぜん回ってなくて、
そこで企画と運営のギャップというものを目の当たりにしました。
これはヤバイと思い、2年くらい運営に携わって、店長みたいな感じでその場所を回してました。

問題解決のためにキャリアが変化していくんですね。

その場所は行政の施設で、催し物や会議など利用目的がある人しか来なかったんです。
近所のお母さんたちを巻き込まないとお客さんが来てくれないなーと思って、
それからカフェ的なサービスだけじゃなくて、
ワークショップとかハンドメイドマーケットみたいなものや、
公演予定のある俳優さんに台本を読んでもらうリーディングカフェ的なことを企画し始めたのが、
今に繋がってる感じですね。

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それから自由大学に?

地元の人たちを巻き込んだその場所は、ある程度かたちになりました。
けれども、はじめは「ここの地域でも面白いことが出来るんだよ」
と言っても、ピンと来てくれる人が少なかったんです。
そのときは震災の1年くらい前。
時代的に、たぶん今以上に東京と地方のギャップがあったんですよね。
2年間の単身赴任を終えて東京に戻ったものの、そういった葛藤も大きくて、
「このモヤモヤを解消してくれるものはないかな」と検索しまくって、
自由大学を見つけたんです。

学長にはどういった流れで?

自由大学は、「何かを学んで自由になる」というのがコンセプト。
私も最初は生徒だったんです。
そこでは講義を作る人をキュレーターと呼んでいて、
講義を受けて提出した企画を「講義化するのいいじゃん」と言われて、講義化。
「そのまま運営入らない?」と言われて運営に入った、という流れです。

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とてもスムーズにキャリアが変化していきますね。

何かを離れた時はいつも全くノープランなんです。
でも表現するチャンスが与えられるので、そこで何かをやると次が見出せるんです。
もちろん上手くいかないこともありますけど、
与えられたチャンスを最大限に生かすことを続けて、今ここにいます。

そういった経験を経てギャラリーの仕事にたどり着いたんですね。
MOMAの感動に立ち返るわけですね。

そうなんですよ。
ARTの仕事をするための12年間の修行だったのかなと考えると納得がいくんですよね。
12年前だと仕事中心の生活で、付き合う人が限定されていました。
そこから考え直すと、いろいろな人の考えに触れる機会を作る時間だったのかなと。
自由大学の時は、17歳から60歳くらいの
「何かから自由になりたい人」を対象にしていたんですけど、ギャラリーで働くことになると、
また違う興味関心を持つ人たちとお付き合いすることになるんだろうなと楽しみですね。

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<プロフィール>

岡島 悦代 Nayo Higashide
(LOKO GALLERY ディレクター)
レコード会社や銀行にてデザイン、WEBコンテンツの企画製作に携わる。
その後、家業の新規事業としてカフェ事業を構築。
自由大学では6年間キュレーターとして講義をプロデュースし、その間に三代目学長も務めた。現在は代官山にあるコマーシャルギャラリーのディレクターを務める。

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