(1990年代から)YOSHIKIや米米CLUB、ウルフルズなどのアーティストや、
映画やドラマのスタイリングを手がけてきました。
「どこの国の民族衣装?」というような、カラフルなスタイリングが得意。
特にアーティストがイメージチェンジをする時とか、
映画やドラマがスタートしてイメージを作り上げていくのに関わることに、
やりがいを感じてました。
それから、(2001年に)ニューヨークに
セレクトショップを持ちました。
ニューヨークでは結局4年間店をやったんだけど、
ちょうどテロの年に始めちゃったんですよ。
売れると思って仕入れたものが、全部売れなくなって大変だった。
1億円くらいマイナスになって、
もうこれ以上は無理だなと思って辞めました。
(時差で日本と)半日違うから、
なんとかできるだろうと思ったんですよね。
例えば日本で夜まで働いて、飲んで帰ってきたとしても、
夜中の12時からニューヨークの朝が始まって仕事するじゃない?
それで朝にちょっとだけ寝るという繰り返しだったから、
睡眠時間は少ないわ、金に追われるわで、
頑張ったんだけど4年目に無理だなと。
どうしても明後日までに300万円を送金しないとやばい、
という時があったんですよ。
ふと、車を売ろうかなと思ったんです。
年代物の車だったから、売ったら高額になる。
「でも待てよ?」と。
自分が体の一部のように使っていた大好きな車を売って、
自分のスタイルを変えてまでやることではないなと思い始めたんです。
店を閉じるきっかけがその車。
今もその車は乗っています。
スタイリストの仕事があったので、
その時の借金は返し終えました。
でも仕事がもらえるのはありがたかったけど、
「このままアーティストと一緒に年をとっていくのも、
自分が若いアーティストにつくのもどうなのかな」と。
最初の頃って、小さいライブハウスでも楽しかったんですよ。
渋谷公会堂でも相当盛り上がれた。
たまたま東京ドームが当たり前のアーティストに付いて、
東京ドームも最初は鳥肌が立ったはずなのに慣れちゃうんですよ。
それに年末は音楽番組の特番に紅白歌合戦に、
年越し特番に行くのがただのルーティンになってきて。
もちろんちゃんと仕事をしてるけど、
自分の楽しさを見いだせなくなってくるというのが
何年も続きました。
でも、東京ドーム以上はないんだもん。
かといってニューヨークで失敗してるから、
アメリカとか今はまだ行く気になれない……。
何をしたいかわからなかったけど、
飲んべえの食いしん坊っていうだけで、
「食だ」って思いました。
スタイリストのままでやってます。
「地域をスタイリングする」という感じで、
「つながる、つなげる」をテーマに仕事をしています。
最近の仕事のひとつに、福島県天栄村でのプロジェクトがあります。
天栄村にはもともと、「天栄米」という
米・食味分析鑑定コンクール国際大会で
9年連続で金賞をとっていた米があるんです。
そのイメージを一新しようということで、
パッケージのプロデュースなどをしました。
「米が美味しいけど、村にほかの食品は何があるんだろう」と。
ヤーコンなどいくつかあったけど、
それだけではインパクトに欠けていた。
そこで、マカの生産をしている知り合いと天栄村が契約して、
昨年からマカの栽培を始めたんです。
それを商品化して、今年のRooms(展示会)で販売したんですよ。
『天栄マカカレー』や『天栄米マカビール』などを
販売したら長蛇の列で、完売しました。
マカは注目されるなという感触を得たところです。
他の地方でも、そこの産物と産物を組合せてよりステキに、
まずは手に取ってもらえるようなお土産品を
プロデュースするなどしています。
東京の仕事もあるけど、7対3くらいで地方が多いです。
地方に行ったら地元の人に
「この街は何色ですか?」って聞くんですよ。
山と海をイメージしてか、「緑」と「青」が一番多い。
でもそれって日本の他の地域でも同じですよね。
だから私は、その土地をイメージした色味をメインにパッケージなどで
「カラフルさ」を大切にするようにしています。
まずはその地方に行ってイメージをつかむところから。
地方には、日本酒とワインがあるじゃない?
好きなんですよね(笑)。
地方に行くと、(知らない人同士)
いろいろな人を集めての飲み会になりますね。
人と人ってマリアージュだと思うから。
<プロフィール>
中川みどり
スタイリスト、地域ブランディング、イベントプロデューサー、2030SDGs公式ファシリテーター。衣・食・住を、遊で繋げる「スタイリング」という観点で、地域の資源を素敵なものに蘇らせる。YOSHIKI、ウルフルズ、映画「海猿」のスタイリングや、食のブランド「tunagaru-tunagaru」の設立など、活動は多岐にわたる。