COLUMN

Haruka Sakota chapter1

Haruka Sakota chapter1

もともとVJ(ビジュアルジョッキー)をしていたんですよね。
何をきっかけに?

大学は文学部に入ったのですが、しばらくして「これは違うな」と思って辞めました。
「映像を作りたい」と思い、CGの学校へ。
ゲームや映画のCGを作る人材を育成するための学校だったんですけど、
これも1年ほどで「違うな」と。
その時「音楽と絵がぴったり合っているのが好きなんだ」って、気づいたんです。
それで、VJを始めました。
グラフィックデザインもミュージックビデオの制作も、
すべてはここが起点だと思います。

そこからVJとして何年活動されたんですか?

12年くらいです。

VJを始めた2000年頃って、VJの機材は今と全然違いましたよね。

VHSデッキを5台積んでやっていた時代ですね!
再生4台に、巻き戻し用が1台で。

その中で機材の進歩などがあったかと思います。

VHSからDVテープになって、
ものすごく大きかったミキサーもお弁当箱くらいになっていった。
テープだったのがDVD-Rになって、
今じゃラップトップ1台でVJができちゃう。
すごい進化だと思います。
昨日ちょうどライブを観に行って、
私の友人のVJを横で見させてもらったんですけど、
昔望んでいたことが全部実現してるんだなって驚きました。
私がVJを始めた頃は、VJ黎明期でした。
「VJってこうやるものだ」というお手本があまりなかったので
「自分のやりやすい機材はなんだろう」「どんな映像が音楽に合うんだろう」と
それぞれ考えながら、勝手に自分の方向に進んでいた時代だと思います。
だから、それぞれやってることが違っていて、
キャラが立っていて、何だかおもしろい時代だったなと。
「VJって機材多くて大変だけどがんばろう」みたいに励まし合ってました。

VJをやっていたときの1番のモチベーションは?

規模の大小にかかわらず、音と絵がぴったり合って、
お客さんが「わー」っと盛り上がった瞬間がすごく好きです。
みんなの熱量がダイレクトに伝わるんです。
特にバンドのステージだと、
アーティストのほかに照明さんやたくさんのスタッフもいる。
それがグループ、ファミリーのようで、みんなで
「次のステージはもっとよくしていこう」とやっていくのが楽しい。
映像を作る時は、1人でMacに向かっているだけだから、
そういう「ハレ」と「ケ」があるのがいいんです。

VJにいったん区切りをつけたあとは?

結婚したのを機に、2012年に夫とシルクロードを横断しました。

シルクロード!
結構マジなやつですね。

そう、マジなやつです(笑)。
長旅は初めてだったから、
もっと初心者向けのルートがよかったんですけど……。
日本から上海へ船で渡って、陸路でイスタンブールまで行きました。
陸路は上海からは西安(シーアン)を通って、
ウイグル自治区を抜けて、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタン、カザフスタンへ。
本当は船でカスピ海を渡りたかったんだけど、
うまくいかなくて、そこだけ飛行機で海を渡りました。
そこから、アゼルバイジャン、ジョージア、アルメニアに寄って、トルコですね。

まさに中央アジアをがっつり通ったんですね。

英語はほとんど通じなくて、キリル文字も読めない。
ロシア語が必要なんだと分かって、
西安で手に入れた英露辞典を片手に旅をする、みたいな。
そもそも、そんなことも調べないで出発したんですよね。

どうして行ったんですか?

夫は元々10年以上海外を旅してきたので、何の躊躇もなく「旅に行こう」と。
彼は中国を何度も旅してるので、「まずは船で中国に渡らないか」というわけで、
中国に渡って西へ西へと進むうちに、自然とシルクロードの道になってきました。

流れで?

流れです。
私の性格としては先に決めたいんですけど(笑)。
でも、たまには流れにまかせてやってみようかと思いました。
期間も決めず、行けるとこまで行ってみようということで。

どうやって移動するんですか?

シルクロードっていう1本の道があるわけではないから、
「ここは高速バス」「ここからここは乗り合いタクシー」
「ここからここは鉄道があるから、じゃあ鉄道」
「何もなかったら、歩く」と、じりじり繋いでいく感じです。
自転車で旅している人もいっぱいいました。
普通の自転車もいれば、あおむけでこぐタイプの自転車の人も。
初めて見た時はびっくりしました。

日本からトルコ、文化的にはわりと繋がってますか?

グラデーションで繋がっているんだなっていうのが肌で分かりました。
特に食べ物はグラデーションだと思いました。

中華からトルコ料理までがグラデーションだと。

同じ料理なんだけど、(国から国に移動しても)
名前を変えながらずっと続いている。
たとえば餃子だと、国ごとに名前が違うけど似てるんですよね。
それから、民族衣装に出てくる文様や建築に、言葉も。
国境っていう線でいきなり変わるのは、通貨くらいかもしれません。

帰国後は、どういうお仕事をされてたんですか?

帰国した後は、広島県の宮島に一年ほど住んでいました。
東京から離れているので、デザインとか映像の仕事を頂いて少しずつやっていました。
その後は出産や子育てで数年ブランクがあって、カフェのデザインや商品開発、
商品パッケージなどのお仕事から少しずつ復帰してきました。
今は映像の仕事はちょっとお休みしてるんですけど、
映像制作は好きなので、やっぱり早く作りたいなと思っています。

Haruka Sakota chapter1
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<プロフィール>

迫田 悠
映像作家、グラフィックデザイナー。これまでにEGO WRAPPIN`、DREAMS COME TRUE、clammbon、ROVO、大沢伸一、Kaoru Inoue 等、数多くのアーティストのミュージックビデオやCDジャケット、ライブステージでの映像演出を手がける。2018年にcobalt設立。

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